まだまだ夏は暑いね。

外に出ても暑いけど、日中は屋内にいてもエアコンつけないと灼熱だ。
それでも夜中から明け方にかけては涼しいから、うまく換気してあげるとエアコンを使わなくても心地よいね。特に明け方のあの涼しさは、とても気持ちがいい。
明け方の気温はGoogle先生にきいてみたら23〜25℃くらいみたいだ。湿度は場所によって結構変わるみたいからよくわからない。
それと窓用換気扇をつけてみた。洗濯物を室内干ししても湿気がすぐに抜けてくれるから、とても助かってる。うまく湿気を抜くコツは、換気扇をつけているときに対角線上の窓か扉を少し開けておくといいみたい。給気口をつくるといい感じ。

投資のほうは最近立会外分売の銘柄が多いのが目立つ。

2341 アルバイトタイムス
3359 タイセイ
3962 チェンジ
6319 シンニッタン

他にもいっぱいある。この中でアルバイトタイムスとタイセイを買ってみた。立会外分売は始めてなんだけど、割引がきいているからお得なんだと思って飛びついちゃった。割引率はだいたい2%~3%くらいが多いのかな。大株主が後ろ向きな理由で売り抜ける為に立会外分売を使うこともあるみたいだから、割引がきいてるからって銘柄をよく調べないで飛びつくと損することもあるみたい。なにも考えずにタイセイを買ったけど幸運にも立会外分売のあとで含み益になっているから良かった。アルバイトタイムスは元気がない。
前に上場インデックスファンド新興国債券1566を全力買いしたことを報告したけど、こちらも元気がない。買ったあとも更に値下がりを続けている。少しずつ買って取引手数料を抑えればよかったと後悔している。トルコと南アフリカが元気がないから1566も元気がないのかな。応援してるよ。

狩猟時代の石矢から見える資本家の未来

結論から言うと、資本家は未来にわたって強い立場を維持します。

今までの歴史の流れとこれからの流れ

未来は誰にもわかりません。わかりませんが考えることを放棄するのではなく、今までの経験、つまり歴史の流れからこれからの未来の流れを考察することはできます。今日は歴史から見える未来を一足先にのぞいてみることにしました。そしてその未来では資本家はどういう位置づけになっているのでしょうか。みなさんも想像しながら読んでみてください。

資本家の未来は、道具の誕生と関係がある

人類の歴史をさかのぼるときに、狩猟時代より前の歴史を私は知りません。資本家の未来を考えているのに狩猟時代なんて驚きますよね。狩猟時代では、人はどうすれば簡単に獲物を捕まえて食べられるかを考えていました。獲物が多くいそうな場所に移動したり、木や石で矢じりをつくって狩りの道具にしたりと工夫しています。ここで道具が出てきます。
己の肉体のみを用いて獲物を捕まえていたのが、その肉体の機能の一部を道具に置き換えたのですね。私は「人の機能の外部化」と呼んでいます。

狩猟道具が発達して食べる分以上の食料を調達することができるようになると、将来に向けて食料の保存を試みます。お肉を乾燥させて日持ちさせたり、種を植えて農作物を栽培するわけです。もちろん、食料の保存ができる人は今日食べる分を調達できている人です。まだ今日の食べるものがない人は今日の食料の調達が最優先であり、食料の保存など先のことを考える余裕はありません。そこで、食料を調達できない人は調達できる人から食料を分け与えてもらわなければいけなくなるわけですが、その結果として人が人を生かす仕組みが生まれ、立場に差が生まれました。

人を使い始める

食料を調達できる人は食料の保存を試みるのですが、その中で食料の保存に成功する人が現れます。彼らはより多くの食料を蓄えることができるようになり、社会の中で益々力をつけていきました。彼らはその蓄えている圧倒的な食料を周りの人々に提供する代わりに、人々を狩猟や農耕に従事させ、更に食料を蓄えていきました。彼らは自らの労働力を周りの人々に置き換えることで、「人の機能の外部化」を図りました。資本家と労働者の最初のモデルと捉えることもできます。

富める人はその勢力(外部化された労働力たる人々)を使って隣の勢力と協調したり争ったりすることがありましたが、「人の機能の外部化」は道具の進歩と共にゆるやかに進んでいきました。このままゆるやかに進んでいくかと思われましたが、あるとき大きな変化が起こりました。産業革命です。

労働力たる人が機械に置き換わり始める

産業革命では、機械が大いに発達しています。当時の機械は単純な作業しかできませんが、分業が進んでいた単純作業のエキスパートである労働者と比べても、短い時間で大量に一定の品質のものを作ることができました。そのため機械は当たり前のように人にとって代わることになりました。これは「人の機能の外部化」により生まれた労働者たる人々の機能の一部が、機械に外部化された瞬間でした。

そしてこの、外部化された労働者による労働力が更に外部化されるという流れは現代まで続いています。計算はパソコンにさせる、移動は車や電車を使う、意思疎通は電話やインターネットを使うなど道具や機械の発達とともに「人の機能の外部化」もより効率的なものになっています。

効率を求めると外部化する

効率を求めて、人は自らの機能を次々と外部化していきました。その過程で道具や機械、はたまた外部化された労働力たる人々はどんどん進化し洗練されていきました。人々は人的資源を含めた様々な資源をより効率的に使用していくようになり、社会は益々豊かになっていきました。社会が豊かになれば、その源泉たる資本家も豊かになっていきます。そして人々ができることもどんどん増え、ていきます。

そのため、機械が洗練されて複雑なことができるようになると、外部化された労働力たる人々が一時的に機械に置き換わることがあります。それと同時に社会が豊かになり人々の活動範囲が広がります。また、社会が豊かになることで、労働者はより良質な教育を受けることができ洗練していきます。この結果、洗練された外部化された労働力たる人々は機械に置き換わっていない新しいことに従事することになります。その限りにおいて社会の構造が大きく変わることはありません。

外部化の果てにあるものと資本家の未来

社会の構造が大きく変わることがないのは、社会が豊かになり人々の活動範囲が広がっていくことが前提になっています。そのため、これ以上活動範囲が広がらないような状態になったとき、つまり人の機能の外部化が極限まで行われたとき(全自動)、機械(ロボットやAIを含みます)にその機能を取って替わられた外部化された労働力たる人々は、新しいことに従事することができずに職を失います。

ここで労働力を外部化している主体は資本家ですから、労働力を労働者から機械に置き替える主体も(その時代の要請もあるが)資本家になります。対して労働者は自らの意思とは関係なく機械に取って替わられることになります。全自動になる過程の中で、資本家は労働者より強い立場なわけですから、当然資本家にアドバンテージのある全自動化を進めることが想定されます。つまり全自動化された社会でも資本家は強い立場を維持することになります。

ここでもし、社会の全自動化がどうしても達成できない場合、つまり「人の機能の外部化」により生まれた労働者たる人々の労働力としての機能の全てが、機械に外部化できなかった場合、機械に外部化できない労働力を提供するごく一部のエリートの労働者は大きく力をつけることになります。なぜなら彼らの仕事は、従来の分業の進んだ誰でもできるような単純な労働ではなく、機械でも替えのきかない労働だからです。その労働を含んだ事業は専門性が高すぎて、資本家は事業の良し悪しを判断することができません。しかしこれはウォーレン・バフェット率いるバークシャーハサウェイに投資するようなものです。事業の専門性が高くなろうと、資本家の重要性は変わりません。そしてエリートの労働者はごく一部なわけですから、その他ほとんどの労働者は前述のとおり職を失います。よって社会の全自動化が達せられずとも、資本家は強い立場を維持することになります。

つまり、近い未来に社会が今より成長し、事業がより高度で専門的になっても、資本家の強い立場は変わることがないし、これは人がロボットやAIに完全に取って替わられる遠い未来であっても、資本家は同様に強くあり続けます。

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